1958 · Moanin' ほか1枚
1958年、ジャズ・メッセンジャーズを立て直すために呼ばれたベニー・ゴルソンは、ピアノにボビー・ティモンズら新メンバーを集め、Moanin' の収録曲の多くを書いた。ところがアルバムの顔になったのは、自分が連れてきたティモンズの表題曲だった。ゴルソン自身は半年ほどで抜けている。
Benny Golson
リーダー作 2枚、サイドマン参加作 17枚(1957–2020)。それぞれ発表年順に並べています。
Count Basie & Joe Williams / Dizzy Gillespie & Mary Lou Williams
1958 · Verve Records

Curtis Fuller Sextet, The With Benny Golson
1959 · Savoy Records
1958 · Moanin' ほか1枚
1958年、ジャズ・メッセンジャーズを立て直すために呼ばれたベニー・ゴルソンは、ピアノにボビー・ティモンズら新メンバーを集め、Moanin' の収録曲の多くを書いた。ところがアルバムの顔になったのは、自分が連れてきたティモンズの表題曲だった。ゴルソン自身は半年ほどで抜けている。
1957 · Dizzy In Greece
Dizzy In Greece(1957)と World Statesman(1956)の題は、旅行気分で付いたものではない。ギレスピーの楽団は1956年に米国務省が文化外交のため海外へ送った最初のジャズ楽団で、この二枚はその派遣事業の副産物にあたる。地名も肩書も、冷戦期の行き先の記録そのものだった。
1959 · Blues-ette
1959年『Giant Steps』の表題曲で、ジョン・コルトレーンの複雑なコード進行にトミー・フラナガンは直前まで対応しきれず、ソロをほとんど弾かずに終えたと伝えられる。代表作の看板曲のはずが、伴奏に徹する形で名を残した一曲でもある。
1959 · Kelly Blue
ウィントン・ケリー、ポール・チェンバース、ジミー・コブ。名うてのトリオを組んだ三人だが、絆は演奏の外にもあった。チェンバースが1969年に世を去ると、ケリーは深酒に沈んでいく。『あいつはポールが大好きだったんだ』とコブは語る。ケリー自身も71年に後を追った。譜面の隅に並ぶ名が、これほど固く結ばれていた。
— Statement stmt-jimmy-cobb-on-paul-chambers-2
1983 · Aurex Jazz Festival '83
ウィントン・マルサリスは10代でアート・ブレイキーのバンドに入ったが、当時はブレイキーのレコードすら聴いたことがなく、コードの上でスケールを吹くだけで、ソロが組み立てるものだとも知らなかったと、22歳の時点で認めている。のちにジャズの伝統の番人と見なされる人物の出発点が、これだった。
— Statement stmt-wynton-marsalis-on-art-blakey