1967年の Nefertiti のタイトル曲では、フロントの Miles Davis と Wayne Shorter が同じメロディを繰り返し、リズム・セクションが変奏する逆転構造が採られた。当時としては前衛的なアプローチ。
— Footprints: The Life and Work of Wayne Shorter, Michelle Mercer, 2004
Discover music through the musicians who made it.
楽器・奏者から掘る音楽辞典
1967年の Nefertiti のタイトル曲では、フロントの Miles Davis と Wayne Shorter が同じメロディを繰り返し、リズム・セクションが変奏する逆転構造が採られた。当時としては前衛的なアプローチ。
— Footprints: The Life and Work of Wayne Shorter, Michelle Mercer, 2004
Jimmy Cobbはマイルス・デイビス・セクステットに前任ドラマーの後任として加わったばかりの新顔だった。『Kind of Blue』(1959)のセッションはリハーサルらしいリハーサルもなく、曲の骨組みだけを見ながらほぼ一発録りで進み、それが後に史上最も売れたジャズ・アルバムになった。
1954〜56年のClifford Brown-Max Roachクインテットは、ビバップの語法を完璧に洗練させた。ブラウニーの死(1956年、26歳)によって突然終わったこのバンドは、Rollinsに「何を残すか」という問いを残した。
デイヴ・ホランドは1968年当時、ロンドンのクラブで演奏する無名の若手ベーシストだった。それを見出したマイルス・デイヴィスがその場で誘い、ホランドは数日でニューヨークへ渡ってバンドに加わる。1970年、その流れで参加したのが『ビッチェズ・ブリュー』——ジャズ史上もっとも影響力のあるセッションの一つだった。
1961年の Mosaic はアート・ブレイキーの名前で記憶されているが、表題曲を書いたのはリーダーでも管楽器陣でもなく、ピアノ席のシダー・ウォルトンだった。バンド名で棚に並ぶ一枚の芯が、クレジットの小さい活字の側から出ている。
1955年6月、フロリダから出てきたばかりのアルト奏者がカフェ・ボヘミアに飛び入りし、数週間で騒ぎになった。その夏に吹き込まれた Bohemia After Dark はドラマー名義のセッション盤で、キャノンボール・アダレイの出発点は自身のリーダー作ではなくここにある。この盤にも、弟のナット・アダレイがコルネットで入っている。
Blue Note の看板トランペッターだった Lee Morgan の『The Sidewinder』(1964)。その表題曲は誰も予期しないヒット曲となり、シングルは売れ、テレビCMにも起用され、経営の傾いていたレーベルの屋台骨を支えた。以後 Blue Note は各奏者に『次のサイドワインダー』を求めるようになったという。
Red Garland のピアノは、右手のシングル・ノート・ラインから両手のブロック・コードへ移行する独特の構成で知られた。'Round About Midnight や Milestones における彼のソロは、その様式美の最良の例である。
— So What: The Life of Miles Davis, John Szwed, 2002
ロン・カーターといえばマイルス・デイヴィスの黄金のカルテットの低音。だが自身は、その椅子に座る少し前、体調を崩したポール・チェンバースの代役としてハーフ・ノートで一晩だけ弾いたと振り返る。次に座を継ぐ男が、前任者の穴を一夜だけ埋めていた。小さな活字の中で二人は交わっていた。
— Statement stmt-ron-carter-on-paul-chambers
2020年のNPR Tiny Desk(ホーム)コンサート。ソロピアノで演奏されたこのセットは、Tigran Hamasyanの音楽の核心を映し出している。「Road Song」など数曲を含む約20分。スタジオ録音とはまた異なる、一人で空間と対話するような演奏。
— NPR Music Tiny Desk (Home) Concert, 2020