Deciphering the Message
Makaya McCraven · 2021 · Blue Note
参加ミュージシャン
Jeff Parker準備中
このアルバムでギター / レコーディングエンジニアを演奏
Marquis Hill準備中
このアルバムでレコーディングエンジニア / トランペットを演奏
Junius Paul準備中
このアルバムでコントラバスを演奏
Jymie Merritt準備中
このアルバムでコントラバスを演奏
Bobby Timmons準備中
このアルバムでピアノを演奏
Curly Russell準備中
このアルバムでコントラバスを演奏
Lou Donaldson準備中
このアルバムでアルトサックスを演奏
Dexter Gordon準備中
このアルバムでテナーサックスを演奏
Garnett Brown準備中
このアルバムでトロンボーンを演奏
De'Sean Jones準備中
このアルバムでサックスを演奏
フレディ・ハバード『Red Clay』(1970)の顔とも言えるベース・イントロ。実はあれを書いたのはハバードではなく、ベースのロン・カーターだった。フレディがパート譜を持ってこなかったため、カーターがその場で組み立てたという。『運よく、ちょうどいい音がちょうどいいタイミングでハマった』——曲の看板になった一節は、譜面の不備から出た即興だった。
1970年のCTI盤『Red Clay』は、プロデューサーに『ヒットを書け』と注文されて生まれた曲だった。フレディ・ハバードによれば、仲間のジャズマンたちは『おまえ、そんなダサいものを書いてるのか』と嘲笑したという。だが売れ線として注文された一曲は、のちに彼を代表する定番になった。当時けなした側が予期しなかった転倒だ。
CTI時代、フレディ・ハバードのきらびやかなトランペットの陰で、支えていたのはロン・カーターのベースだった。1970年の『Straight Life』もそのひとつ。ハバードは晩年、最後の伝言をこう遺した——『ロンに何度尻を救われたか本人に伝えられなくて残念だ』。花形が、目立たぬベーシストを命綱と認めた。
ロン・カーターといえばマイルス・デイヴィスの黄金のカルテットの低音。だが自身は、その椅子に座る少し前、体調を崩したポール・チェンバースの代役としてハーフ・ノートで一晩だけ弾いたと振り返る。次に座を継ぐ男が、前任者の穴を一夜だけ埋めていた。小さな活字の中で二人は交わっていた。
のちに世界一録音されたベーシストになるロン・カーターは、イーストマン音楽学校の学生だった頃、1950年式フォードを持っていた。ロチェスターでの公演後、駅までの足がなかったマイルス・デイヴィス、レッド・ガーランド、そしてポール・チェンバースを車に詰め込んで送り届けた。名手が、車を持つ学生だった夜の話。
「ハードバップの屋台骨」と呼ばれ、膨大な録音にその名を刻んだベーシスト、ポール・チェンバース。だがケニー・バレルが1956年の初リーダー作で彼を指名した理由は、拍子抜けするほど素っ気ない——「ポールは自分の弟子だったからだ」。不動の低音は、デトロイトではギタリストの教え子だった。
ブルーノート期、テナー2人の格付けは長くウェイン・ショーターが上とされた。だが同じ現場にいたドラマーのジョー・チェンバースは、こう振り返る——『ジョーとウェインは同格の才能だ。ただジョーのほうがソウルがあった』。過小評価されがちだったジョー・ヘンダーソンを、共演者は並べて見ていた。
セダー・ウォルトンが長年組んだドラマー、ビリー・ヒギンズ。その名は数えきれないレコードの小さな活字に並ぶ。だが彼はロサンゼルスのレイマート・パークに『ワールド・ステージ』という場を作り、若いミュージシャンを集めて励ましていた。叩くだけの人ではなかった。
ハービー・ハンコックの出世作『Takin' Off』(1962)に入った「Watermelon Man」。あのファンキーなノリを作ったのは、まっすぐな8分音符とスウィングの3連符のあいだに落ちるように叩いたドラマー、ビリー・ヒギンズだった。曲はやがて広く知られる。
1961年、シダー・ウォルトンは自作曲「モザイク」をアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズのリハーサルに持ち込んだ。演奏したフレディ・ハバード、カーティス・フラー、ウェイン・ショーターの3人は、ウォルトン本人いわく「コーンフレークでも食うみたいに」曲を平らげ、作曲者本人より上手く弾いてしまった。
ビリー・ヒギンズは1962年のハービー・ハンコック『Takin' Off』、64年のリー・モーガン『The Sidewinder』とブルーノートのハードバップ黄金期を支えたドラマー。だが2021年作『Deciphering the Message』にも名を連ねる。ヒギンズは2001年に他界しており、これは旧ブルーノート音源を再構築した企画作。死後20年を経て「新譜」に参加した形になる。
1960年代、フレディ・ハバードは舞台に立つたびに『リー・モーガンと比べてどうか』と値踏みされていた。本人いわく、その比較こそが自分を前進させ続けた原動力だったという。巨匠同士の余裕ある共存に見えた裏で、実際は絶えざる競争意識が支えていた。
ボブ・クランショウが1964年、ブルーノートのスタジオで残した未発表テイクは、そのまま倉庫に眠るはずだった。ところが2021年、当時のマルチトラック音源を素材に再構築されたアルバム『Deciphering the Message』に組み込まれ、半世紀以上を経て新作の一部として蘇った。
ジョー・ヘンダーソンは1960年代、ホレス・シルヴァーのバンドでサイドマンを務めた際の心構えをこう語っている。『ホレス・シルヴァーの音楽を、彼が思い描いたものと違うものにしたくはなかった。むしろ、彼が思い描いた通りのものに、もっとしたかった』。後に自身のリーダー作で個性を確立する前、ヘンダーソンは主張よりも奉仕を選んでいた。
レイ・ブラウンは2002年に他界したが、2021年作『Deciphering the Message』のクレジットに名を連ねる。この盤は新録ではなく、ブルーノート期の古い録音テープを編集し直して作られており、半世紀前のベース演奏が没後の新譜に紛れ込む形になった。
ケニー・バレルは1950〜60年代のブルーノート録音に数多く参加したギタリスト。その古い演奏テープの一部が、2021年発表『Deciphering the Message』で切り刻まれ組み直され、本人が関与しないまま新譜のクレジットに名を連ねることになった。
Kenny Dorhamは1972年に亡くなっているが、Blue Note未発表テープの演奏が発掘され、2021年作『Deciphering The Message』で新録のリズム隊と重ねられ新曲として生まれ変わった。録音から数十年後、死後に初めて日の目を見た演奏になる。
エレキベースの可能性を塗り替えたジャコ・パストリアスの1976年のデビュー作に、意外な低音楽器が紛れ込んでいる。ジャズ・チューバの第一人者ハワード・ジョンソンが、マーチングバンドの楽器であるチューバでクレジットされているのだ。
ヴァイブ奏者ボビー・ハッチャーソンは2016年に世を去った。それでも2021年作『Deciphering the Message』のクレジットには彼の名がある。ブルーノート時代に残されたテープの演奏を、後年のプロデューサーが新しいリズムトラックと重ねて一枚に仕立てた盤だからだ。
ジョー・チェンバースは1965年から68年にかけて、Blue Noteの黄金期をドラムで支えた一人だった。『In the Beginning』『Mode for Joe』『Tender Moments』。それから半世紀余りを経た2021年の『Deciphering the Message』にも名前が続く。同じレーベルの遺産を今の耳で語り直す作品に、当のセッションを叩いた本人がまだ立ち会っている。
登場するNote
一方その頃(2021年前後)