1971 · Beyond the Blue Horizon
1976年『Breezin'』以前のジョージ・ベンソンは、ジャズの現場仕事人としてセッションをこなす生粋のギタリストだった(『Straight Life』(1970)などに参加)。ところが『Breezin'』は当時最も売れたジャズ作品となり、収録曲『This Masquerade』はグラミー最優秀レコード賞を獲得、ベンソンは一夜にして歌う人気シンガーへと転身した。
ジョージ・ベンソン
リーダー作 6枚、サイドマン参加作 13枚(1968–2018)。それぞれ発表年順に並べています。
1971 · Beyond the Blue Horizon
1976年『Breezin'』以前のジョージ・ベンソンは、ジャズの現場仕事人としてセッションをこなす生粋のギタリストだった(『Straight Life』(1970)などに参加)。ところが『Breezin'』は当時最も売れたジャズ作品となり、収録曲『This Masquerade』はグラミー最優秀レコード賞を獲得、ベンソンは一夜にして歌う人気シンガーへと転身した。
1976 · Breezin'
1976年の『Breezin'』収録「This Masquerade」は、第19回グラミー賞で最優秀レコード賞を獲得。同アルバム自体もBensonによる最優秀ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス、Al Schmittによる最優秀エンジニアード・アルバム賞(非クラシック)を受賞し、ビルボードのポップ・ジャズ・R&Bの3チャートで1位を獲得した。
出典あり1973 · Body Talk
1953年に加入したフランク・フォスターは、ベイシー楽団のテナー奏者であると同時に、譜面を書く側でもあった。1955年の「Shiny Stockings」は楽団の定番として残る。April In Paris(1957)やCount Basie At Newport(1957)でサックス・セクションにいた彼は、1984年のベイシー没後、1986年に楽団そのものを率いることになった。
1989 · Tenderly
1989年の George Benson はポップ寄りのヒットで知られるギタリスト兼歌手だった。その Tenderly は生音のスタンダード集で、ドラムの席に呼ばれたのは50年代からハードバップの現場を支えてきた Louis Hayes。売れ線の名義の裏に、当時のままの叩き手が置かれている。
1970 · Straight Life
フレディ・ハバード『Red Clay』(1970)の顔とも言えるベース・イントロ。実はあれを書いたのはハバードではなく、ベースのロン・カーターだった。フレディがパート譜を持ってこなかったため、カーターがその場で組み立てたという。『運よく、ちょうどいい音がちょうどいいタイミングでハマった』——曲の看板になった一節は、譜面の不備から出た即興だった。
— Statement stmt-ron-carter-on-freddie-hubbard
1981 · Silk
1989年の『Amandla』はマイルス・デイヴィス名義だが、曲の大半を書き、プロデュースし、ベースだけでなくキーボードやバスクラリネットまで重ねたのはマーカス・ミラーだった。80年代前半に一時バンドのベーシストだった男が、晩年のマイルスのサウンドそのものを設計する側に回っている。