Mosaic
Art Blakey · 1961 · Blue Note
参加ミュージシャン
Cedar WaltonCedar Waltonシダー・ウォルトンはArt Blakey
Art Blakeyアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズでの活動(1961–64)で名を馳せた。「Mosaic
MosaicArt Blakey · 1961」「Firm Roots」など彼のオリジナル曲はモダン・ジャズのスタンダードとなっている。
1961年録音の MosaicMosaicArt Blakey · 1961 は、Freddie Hubbard
Freddie Hubbardフレディ・ハバード、Curtis Fuller
Curtis Fullerカーティス・フラー、Wayne Shorter
Wayne Shorterウェイン・ショーター、Cedar Walton
Cedar Waltonシダー・ウォルトン、ジミー・メリットを擁する6人編成メッセンジャーズの幕開け。三管フロントの厚みがバンドの新章を告げた。
Cedar WaltonCedar Waltonシダー・ウォルトン は1961年から64年まで Art Blakey
Art Blakeyアート・ブレイキー のメッセンジャーズのピアニスト兼音楽監督を務めた。Mosaic
MosaicArt Blakey · 1961 や「Ugetsu」での編曲手腕は、彼のキャリアにとって重要な転機となった。
Curtis FullerCurtis Fullerカーティス・フラー は1959年にベニー・ゴルソンらとジャズテットを結成し、その後1961年から65年まで Art Blakey
Art Blakeyアート・ブレイキー の三管メッセンジャーズの一角を担った。Mosaic
MosaicArt Blakey · 1961 では彼のロバスト・トーンが厚みの要となった。
Hub-Tones のように歌うトランペットで知られるフレディ・ハバードが、1965年録音の集団即興の極北〈Ascension〉に加わっている。整ったハードバップの旗手が、うねりだけで押し切る最も過激なフリージャズの現場にそのまま立っていた、という取り合わせが意外だ。
1958年の Moanin' は当初『Art Blakey and the Jazz Messengers』という素っ気ない自己名義盤だった。ところがピアニストのボビー・ティモンズが書いた冒頭曲があまりに親しまれ、レコードごとその曲名で呼ばれるようになった。看板はブレイキーでも、盤の名を決めたのは脇にいた作曲者だった。
1961年、シダー・ウォルトンは自作曲「モザイク」をアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズのリハーサルに持ち込んだ。演奏したフレディ・ハバード、カーティス・フラー、ウェイン・ショーターの3人は、ウォルトン本人いわく「コーンフレークでも食うみたいに」曲を平らげ、作曲者本人より上手く弾いてしまった。
1961年の Mosaic はアート・ブレイキーの名前で記憶されているが、表題曲を書いたのはリーダーでも管楽器陣でもなく、ピアノ席のシダー・ウォルトンだった。バンド名で棚に並ぶ一枚の芯が、クレジットの小さい活字の側から出ている。
登場するNote
一方その頃(1961年前後)